生活の中での多少の苦労なら、チャンネルをひねればお笑い芸人が忘れさせてくれる。
人それぞれもちろん好き嫌いがあるだろうが、自分にとってお笑いとは、青春時代から切っても切れない関係だった。
『何でもやります!やらせてください!』
お笑い芸人かけだしの身体を張ったリアクション。
テレビの向こう側からでも一生懸命さが伝わってくる。
身体を張る=お笑い芸人とは少し御幣を生むかもしれないが、要はそれくらいの一生懸命さが無くなってしまうと、見ている側としてもつまらなく感じてしまうということだ。
身体を張って無茶できる年齢ではなくなったから?
いや、決してそんなことはない。
北野武
出典:アンサイクロペディア
おそらく脳には、節電モードみたいなものがついていて、ちょっと慣れてくると、すぐに楽をしようとする。絵でいうなら、描き慣れるということがある。たとえば、ゴリラの絵を描くとする。初めてだから上手く描けないんだけど、絵としては悪くない。ところが、調子に乗って同じゴリラの絵を何枚も描いていると、だんだん手が慣れてきて、すらすら描けるようになる。そうなると、絵としてはつまらない。描き慣れた絵は、見てもあんまり感動しない。
北野武氏は自分が一番最初に、そして今でも一番大好きな芸人である。
思い起こしてみよう。
確かに映画監督や芸術へと多方面に才能を発揮し、地位的にもはるか雲の上のような存在になってしまっているが、
出典:クランクイン!
現在の地位を築きながらも、こういったお茶目な一面もきちんと見せてくれる。
そしてこれは余談だが、北野氏が監修した成功確率、無限大数分の一という、
1986年発売の『たけしの挑戦状』というファミコンソフトがある。
サラリーマンである主人公が、ある島に眠っている財宝を見つけに行くというゲームなのだが、そこへたどり着くまでには『離婚届提出・退職届提出・恩人を倒す』などの準備をして、その後も通常では決して思いつかないような操作をしなければクリアできない。
クソゲーなどど評されてしまっていたが、常識にとらわれない北野氏の発想にこちら側が付いていけなかっただけなのだ。
志村けん
出典:志村けんの兄、東村山市役所を退職! 「顔がすごく似てる」と話題に – grape [グレイプ]
バカ殿・変なおじさん・ひとみ婆さんetc.ぶれない自分のお笑い道を突き進んでいる志村けん氏。
内村光良
出典:徳永有美、内村光良の嫁略奪から元夫の須田光樹に支払った慰謝料がやばい【画像】 | 独女ちゃんねる
この人の悪口を言っている芸人は見たことがないというか、聞いたことがないというか、とにかくいい人内村光良氏。
お笑いへの姿勢
何が言いたいかというと 、上の三人は偉くなってもお笑いを貫き通している姿勢がカッコイイということ。
この人たちになら何か格言っぽいことを言われても、筋が通っているから納得できる気がする。
位置づけは少し変わるが、出川哲朗氏や宮川大輔氏も好きだ。
今の時代のせいもあるが、右へならえのお笑いの世界。
ある程度の人気が出ると急に格付けが上がってしまい、コメンテーターやご意見番的な事をしだしたりする芸人が増えている。
もちろん政治や社会に詳しく、筋の通った発言をして、意見されたら違う見解を説いたり謝罪する、といった芸人もいるが、ほとんどは自分のエゴを押し付けるような発言が目立ち、批判があろうものなら決して自分には間違いがなく、言ってきた相手が間違っているんだと怒る始末だから質が悪い。
芸能人の発言というのは、求められるだけあってそれなりに影響力があるのだから、聞く側も注目されることだけにとらわれず、モノ申す側の人間の選別も必要だと思う。
著名人からの知識を得られるせっかくの機会なのだから、ジャーナリズムからは真実だけを聞きたい。
『文句があるのなら聞くな!見るな!』
ごもっともな意見であるが、
「それなら人に受け入れられないようなことを、堂々と公の場で発言するんじゃねぇっ!」
である。
大好きだった芸人達が、時を重ねていくうちに変化してしまい、以前のような勢いがなくなっているのを度々目にするのが非常に残念でならない。
若手に譲ってあげているということだろうか?
いや、そんなことをするくらいなら、実力で蹴落としてあげたほうが若手の為である。
偉くなるのは大いに結構なことだが、その地位に見合うような器量の人間でなければ、芸人だけではない、一般人だってすぐに見透かされてしまうことになるだろう。