2018年1月1日に放送された『芸能人格付けチェック』にGACKT(44)とチームを組み出演。
正解を待つ部屋でお菓子を食べ続けるお茶目な姿を見て、なんとなくホッとしてしまう自分がいた。
YOSHIKI
Yoshiki (@YoshikiOfficial) | Twitter
本名:林 佳樹(はやし よしき)
1965年11月20日に、千葉県館山市の老舗呉服店を営む家庭の、2人兄弟の長男として生まれる。
裕福な家庭環境で育ったが、小児喘息を患い入退院を繰り返す幼少時代を過ごした。
母親にも、『病気で死ぬのではないかと思ってた。生きていることが奇跡』と言われるほど身体が弱かったらしく、夜に喘息の発作が出るとYOSHIKIだけ別の部屋で寝かされたりしたことで、人生の孤独を覚えたそうだ。
略歴
1969年:4歳 父親からピアノを買い与えられ、レッスンを受け始める。
1973年:8歳 お小遣いでシューベルトとベートーヴェンの曲が収録されたレコードを買う。
1974年:9歳 ピアノで作曲を始める。
1975年:10歳 誕生日にトランペットを買い与えられる。
1976年:11歳
- 行きつけの店で偶然目に付いたキッス(KISS)のジャケットに惹かれ購入。母に頼み連れて行ってもらったキッスの日本武道館公演をきっかけに、それまではクラッシックしか聞かなかったがロックに魅了される。
- 同級生2人と幼馴染みのToshiとで4人組バンド「DYNAMITE」を結成。
声変わりが遅く高声しか出すことができなかったため、中学校に進学後、新たに同級生をボーカルに迎え、バンド名も「NOISE」に改称しドラムスに専念することに。
1979年:14歳 より複雑なリズムを叩くため、誕生日に母に頼んでダブル・ベースのドラムセットを手に入れる。
1982年: NOISEを解散し【X】を結成。
高校3年から音楽大学を目指して本格的にピアノに打ち込み、受験勉強の合間にはXとしていくつかのバンド・コンテストに出場し、個人でベスト・ドラマー賞を受賞する。
大学に進学せず東京でバンドを続ける決意を固めたことをToshlに告げられ、これに呼応し、音楽大学への推薦入学が決まっていた道を断つ決心をした。
1986年: Xのレコードをリリースするためにインディーズのレコード会社「エクスタシーレコード」を設立。
1988年: 1作目のアルバム「Vanishing Vision」はオリコンの週間チャートで最高19位を記録。
1989年: Xの2作目のアルバム「BLUE BLOOD」でCBSソニーからメジャー・デビュー。年末には日本有線大賞の最優秀新人賞・全日本有線放送大賞の最優秀新人賞・第4回日本ゴールドディスク大賞の最優秀新人賞などを受賞した。
1991年: 初のソロ名義作として、自身の選曲によるクラシック音楽のコンピレーション・アルバム『Yoshiki Selection』を発表。
1992年: ロサンゼルスに自身のレコーディング・スタジオと自宅を購入し、制作と生活の拠点をアメリカに移した。
1997年4月20日: ボーカリストのToshlがX JAPANを脱退。
1998年5月2日: メンバーのHIDEが急死。33歳だった…
1999年: 気持ちが沈んでいたYOSHIKIに復活へ向けた最初の機会が訪れた。
天皇陛下即位10周年の記念式典で演奏をしてほしいという依頼があった時、大役を仰せつかい迷っていたYOSHIKIに『感謝してやってみたら』の母の一言が背中を押したという。
そして、奉祝曲ピアノコンチェルト「Anniversary」を天皇皇后両陛下の前で演奏し、集まった1万5千人の聴衆から拍手喝さいを浴びる。
2000年6月: メジャー・レーベル「エクスタシー・ジャパン」の設立を発表。
2007年10月18日: X JAPANは公式ウェブサイトで再結成を発表。
2014年: ソロとしては初めてとなるワールド・ツアー「YOSHIKI CLASSICAL WORLD TOUR」を開催。
2017年5月16日: ロサンゼルスの病院にて頚椎椎間孔狭窄症の緊急手術が行われ、頸椎の人工椎間板の置換手術は無事成功した。
人の好さと育ちの良さが垣間見える
Yoshiki (@YoshikiOfficial) | Twitter
誰に対しても丁寧な受け答えで、物腰柔らか。
最近のトークバラエティを見ていると、ファンの方は私生活や性格について熟知しているだろうが、自分のような視聴者には発見が多すぎた。
飾らない「天然」な素顔に好感を持ってしまった。
X JAPAN デビュー前の貴重な映像
X JAPAN やしろ食堂LIVE
やしろ食堂売り上げ貢献のために、元気が出るテレビがX JAPANを送りんだ。
『食え~っ‼』
食事をしている人たちにヘッドバンキングを繰り出し、『食え~っ‼』と叫び唄うToshi。
当時、硬派で閉鎖的がゆえにマイナーなジャンルに押し込まれていたヘヴィメタル業界を、XのリーダーYOSHIKIは多くの人に楽曲を耳にしてもらうための戦略として、タブーと言われていたテレビ出演を決断した。
チャルメラが好き
ラーメンが大好きで、中でもしょうゆ味が好き。
シンプルな具のラーメンが好みで、インスタントではチャルメラが一番だそうだ。
性格は極端なようで、普段の温厚な性格とはよそに、初の東京ドーム公演の前日、好きなカレー屋のカレーがものすごく辛かった事に腹を立てたYOSHIKIはテーブルをひっくり返し、リハーサルもしないで帰ってしまう。
シャワーが熱すぎた…
篠山紀信に依頼を受け、スタジオに出向きシャワーを浴びようとしたら、やけどするほど熱かったらしくそこでも怒って帰ってしまう。
慈善活動
- 幼くして父を亡くした経験から、とりわけ遺児救済に関わる活動に積極的で1995年には阪神・淡路大震災の被災地の小中学校にピアノを10台寄贈。
- 2010年7月1日、基金「Yoshiki Foundation America」を設立。遺児の保護や難病を抱えた子供の救済などを目的とし、より継続的な支援を目標に掲げた。
- 2011年3月11日に発生した東日本大震災の被災者のために、Yahoo! JAPANのチャリティ・オークションにX JAPANのコンサートで使用したカワイのクリスタル・ピアノ「CR-40A」や愛用品を出品し、落札金額を日本赤十字社に全額寄付。
とにかくYOSHIKI氏の伝説が多すぎて、とてもじゃないけれど紹介しきれないので今日はここまで。
にわかファンの自分としては、もっとバラエティ番組に出てほしい。