あーあ、
とうとう草刈正雄さんが死んでしまった。
すみません、語弊あり。
毎週心待ちにしている真田丸。
草刈正雄さんの存在感が凄すぎると言ったらありゃしない。かっこいい。
比較どうなん?
出典:naturamedia 出典:yahoo画像
真田昌幸の晩年
真田昌幸・幸村親子が関が原の戦いで西軍につき、敗れてしまった二人には死罪が言い渡されたが、東軍の家康に付いた長男・信之と、信之の義父・本多忠勝の必死の助命嘆願により命だけは救われた。
その後、九度山で幽閉生活を送っていたが、《表裏比興の者(ずる賢いやつ)》と警戒された智将の面影は皆無となった。
信之を通して赦免を何回も申し出ていたが、それが無理だと悟ると見る見るうちに弱まって、晩年は病気がちになり、信之に、また会いたいという事と、金に困っているといった内容の手紙を何通も出した。
しかし、赦免も息子との再会も果たせずに、1611年(慶長16年)6月4日、で九度山でその生涯を閉じた。享年65歳(年齢諸説あり)。
昌幸の死後、大坂の陣で真田が入城したと聞かされた家康は、
「それは父親(昌幸)のほうか?それとも息子(幸村)の方か?」と聞き、息子の幸村だと分かると安堵したという。
死してなお、家康を恐れさせていた。
と・・・
しかし、写真もビデオもない時代に、何故その人物が存在していたという事が分かるんだろうか?ましてや会話など。
文献資料や手紙の筆跡で調べるらしいけど、なぜその人物のものだと言えるのかしら?
それを調べるのが歴史の楽しみなのか?
勉強しなければならない学生時代には、もっとも覚えることに意味があるのか疑問に思っていた教科。皮肉なことに年を重ねるごとに歴史に興味がわいてきた自分。
一度歴史に詳しい方にご教授願いたい。
水取り合戦