手術当日
何度頬をつねろうと痛い。夢ではない。
とうとうこの日が。
抗生剤のアレルギーテストをして、浣腸されて、便が透明な水になるまで看護師に確認してもらう。
子供がいるとはいえ、まだ20代。
他人にそれを見せるというのは、辱めだった。
まだ患者の処置等に慣れていなそうな、同い年くらいの看護師に鼻からチューブを入れられて、痛くて痛くて涙がぼろぼろ出てきた。
「ごめんね。」と気の毒そうに言いながら、うまく入らないチューブをどうにか胃のほうまで押し込みながら、聴診器をあて、確認していた。
いざ、出陣
部屋のお姉様方が「がんばってねぇ~。」と声援を送ってくれた。
鼻の奥が痛すぎて言葉が発せないのと、ストレッチャーでの移動だったので、手を挙げて答えることしかできなかった。
旦那と二人っ子も来ていたけど、ここでやたらなこと言うと縁起でもないと自粛し、子供が可哀想だから、手術が終わるのも待たなくていいとお願いした。
しかし、緊急時の為に旦那はいたようだが。
入室
金属色がイメージに残っている部屋。
薄暗く殺風景な雰囲気で、肌寒い。
部屋の中央辺りに運ばれ、寝台に移されてと、記憶のある時間はとても短いが、物凄く嫌な場面だった。
やがて担当医と麻酔科医が現れ、
「頑張りましょうね。」
「10数える内に眠ってしまいますから、それでは薬を入れますよ。」
『1、2…』・・・
手術終了
「たべこさーん、だべこさんっ?!」
「起きてくださいっ。」
遠くの方から声がして、目が覚めた。
頭の中がまだぼーっとしている。
「だべこさん、無事終わりましたからね。」
それからまた眠っていたのか、ただ頭が働いていなかったのか分からないが、自分的に本当に覚醒した時には、もう観察室だった。
暗い部屋の中に、ポータブルレントゲンが現れ、胸の写真を1枚。
そして、次にはぬぅーっと外科医が現れ、「どう?大丈夫?」と言ってくれたが、熱が出てしまったようで、脇の下に古い点滴が凍らせてあるやつが挟んであった。
『どれくらい時間かかったんですか?』
手術後、初めて声を出したが、息でしゃべっているようなもんだった。
「2時間半くらい。少し、予定よりもかかっちゃったけど、とり切れたからね。」
『あれっ?声が。』焦る自分にドクターは、
「今それだけ出ていれば十分。」とのことだった。
こんな声でよく通じたな。
風邪をひいて咳が何日も止まらず、声がかすれてしまったのを5倍したくらいの感じ。
そういえば、術前の説明で反回神経に傷が付いてしまうか、がんが浸潤している可能性があれば、その部分は切らなきゃならないから、嗄声になってしまう可能性があると言われていた。
それよりも、喉の異常な痛みと身体が辛いのとでそれどころではなかった。