ノーベル賞受賞者・医者・弁護士・政治家・・・
世のため人のためにと、日夜ご尽力いただいている皆様には、本当に頭が下がる思いです。
いっぽう自分はと言いますと、人間共同生活の場:日本資本主義社会においてブルジョアジーのもと、せっせと狭い目標(自分や家族の生活の糧)のために頑張っております、と言ったところでしょうか。
そもそも資本主義とは、生産手段を私有する資本家が、生産手段を持たない労働者の労働力を商品として買い取って、商品生産を行う生産方式。
法のもとに平等で自由な人格を前提としながら、人格そのものが商品化することによって生じる階級関係を基本にしているということだが、すでにその時点で『平等』という前提に疑問に感じるのは、底辺の自分だけだろかうか?
夢のない話だが、地盤・看板・鞄じゃないけれど、その人の人生は、ある程度スタートからな~んとなく決まっているような感がして、少し妬ましく思った時期もあった。
だって、例えば医者の子は医者になるまでにかかる資金は心配いらないだろうし、環境は整っているし、ある程度の能力は遺伝子レベルで受け継がれているだろうから、あとは本人のやる気だけ。(それが一番大事かもしれないが)
そして、難関職(弁護士・医師・パイロット等)に就いている親の元に育てば、子供もある程度そっちに行かなくちゃなんないのかな?的な気持ちに持っていきやすいのではないのかと。(もちろん、わが子に尊敬されるような仕事っぷりでなければならないのは当然の事だが)
ただし、そのヒエラルキーがあるからこそ、頑張ろうと意欲を燃やす人もいるのが当然で、それが大事なわけだ。
パイオニア的存在になりたかったなんて大それたことは言わないけれど、こんな自分だってなりたいものはいくつかあったが、思うだけ思って行動には移さず、情けない話しだが今はこんな感じでなんとかやっている。
そう、育ってきた環境を言い訳にしてとりあえず現在に至っているが、それでもけっこう楽しく生きている?というか出来る範囲でやりたいことをやっているから結果オーライか。(そう思っていなければやってられない感あり)
そして自分の人生を反省しつつ、娘達にもできるだけ好き勝手やってもらっているから、親よりは出世しているはずである。
要はそのぉ~、何と言ったらいいか。
ブログを始めてからというもの、自分よりもはるかにヤングであろう人物が、ネガティブなことを書き綴っているのをよく目にする訳だ。
自分としてはヤングというだけでも羨ましい。
面白おかしい、あるいは引き込まれるような文章を書けるあなたが羨ましい。
自分にはない知識を持つあなたが羨ましい。
そう!その時点で思い悩んでいるあなたは、誰かに羨ましがられている。
まさに人を引き寄せているという点では、あなたが優位に立っている。
何にもできない・していない人より意識は高い位置にある。
ありきたりな言葉だが、この世に生をうけたあなたは何かしらの役割があって、誰かの為になっているということを忘れないでいただきたい。
それは決して押しつけではないが、大事な役割。
資本主義だかなんだかよく分からない現代になりつつあるが、我々がいなければ利潤は生まれないわけで、大きく言ってしまえば社会は成り立たないわけで・・・
手探りで見つけてみよう、じっくりと。
絶対に誰かがあなたを必要としているし、ぴたっとはまれる場所があるはずだ。