旦那には友人・知人が大勢いたが、葬式は家族葬だった。
完全に自分のエゴで選んだ葬儀方法。
旦那が死んだことを認められないということと、ある意味普通ではなかった自分を、多くの人の目にさらすのがたまらなく嫌だったからだ。
現代、葬儀方法は選べる時代になった。
社葬・合同葬・密葬(家族葬とは違う)・音楽葬・お別れ会・・・
そして、人工知能(AI)やロボットたちが目まぐるしい速度で進化していく中、それらを活用した新しい弔いの形が・・・
出典:市原えつこさんの「デジタルシャーマン・プロジェクト」を観てきました。 | ロボスタ - ロボット情報WEBマガジン
インパクト大のこの写真は、デジタルシャーマン。
ペッパーに個人の3Dプリントしたマスクを被せて、四十九日までの間、家族と共に過ごしてもらおうというプロジェクトで、メディアアーティストの市原えつこさんが新しい弔いの形として提案し、スタートさせた。
個人の存命中に顔を計測したり、音声データを収録したりして、お亡くなりになったのちペッパーに憑依させる。
初七日
命日も含めて七日目に行うのが初七日です。故人が三途の川のほとりに到着する日とされています。故人が激流か急流か緩流かのいずれを渡るかがお裁きで決まる大切な日で、緩流を渡れるように法要をします。
初七日は骨上げから二~三日後となります。遠来の親戚に葬儀後、再び、集まっていただくのは大変なので、葬儀の日に遺骨迎えの法要と合わせて行うことが多くなっています。
四十九日
四十九日は、初七日から七日ごとに受けたお裁きにより来世の行き先が決まるもっとも重要な日で、「満中陰(まんちゅういん)」と呼ばれます。
故人の成仏を願い極楽浄土に行けるように、家族や親族のほか、故人と縁の深かった方々を招いて法要を営みます。(中略)
四十九日は、それまで喪に服していた遺族が日常生活にもどる日でもあります。
そして、デジタルシャーマンの49日目は、『チーン』というお鈴(おりん)の音が最後の日であることを告げる。
個人が最期の言葉を話し終えると、まるで電源が切れたかのようにペッパーの頭がガクッとうなだれる。
・・・
つらい。
自分の率直の意見としては、なんか、二度死に目に会ったような気がする。
はたして、
デジタルシャーマンが四十九日の間いるのといないのとでは、残されたものとしてどちらが気持ちが楽なのだろう?
四十九日の間には、少しは立ち直れているかもしれないのに、ガクッとなってしまったデジタルシャーマンを目の当たりにして、一番最初の悲しさが蘇ってしまうのではないか?
みなさんはどう思いますか?