小学校高学年の時、地元で国体が開催された。
そう。お察しの通り、自分は生まれも育ちも現在も、群馬県民。
初代ぐんまちゃん
出典:初代ぐんまちゃんを探せ⑥ - 歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」
【ゆうまちゃん】改め現在の2代目ぐんまちゃん
自分の通っていた小学校の中からも、マラソン大会で上位に入賞した数名が、開会式当日に国旗やらその他何かを持ちながら走れるという話しを先生から聞いていた。
子供ながらに意識していなかったと言えば嘘になると思うが、その為に必死に走ったという記憶はない。
短距離は早くなかったが、学校の陸上クラブに所属していて、中距離を専攻していたので、マラソンだけは得意だった。
いざ、マラソン大会当日。
結局ゴール直前で二人に抜かれて4位。
とりあえず頑張りましたって事であっけなく終了したが、その後の国体の開会式出場者は、4人選出されることになったという噂を聞いた。
うすうすそのうわさ話を聞いていた自分は、『もしかしたら?』なんて、子供ながらに淡い期待を抱いてしまっていた。
しかし発表当日、そこにはやはり自分の名前は無くがっかりはしたが、『まぁ、仕方ないか』で済んだ。
休み時間が終わってしまうから戻らなくちゃ、とその場を去ろうとした時、
『えっ?!』
よくよく見てみると、どうしても納得できないことがあった。
選ばれた内の3人は、マラソン大会の時、自分の前にゴールしていたから納得できるが、後の1人は自分より遅くゴールしたのに選ばれている。
『なんでぇ?』
そう思ったけど子供の自分には、突き詰める術が分からなかった。
というか、そこまでする気にはならなかった。
・・・と、回想はここで終わったが、今思えばその自分よりも遅くゴールした子は、親がPTAの役員やら、地元で商売やらをしていたな。
それに引き換え、うちの母ちゃんは仕事が一生懸命すぎて、学校の役員とか全然していなかったもんな。
多かれ少なかれ、これが【こね】ってやつか。
いつの時代にもこういうことはつきもので、当時の自分は子供ながらに、しょうがないって感じで納得していたんだろうな。
しかし今の時代、モンスターペアレントあたりがどちらの立場になろうとも黙っちゃいないだろう。
自分の子供がなんらかの理由で運動会出られないからって、学校行事である運動会の日にちを、その子一人のために変更しろって言う親もいるんだとか。
よっぽど運動神経の良いお子で、活躍を楽しみにしていたんだろうけど、校長に脅迫まがいの事をして、万が一、その意見が通って変更にでもなったら、本当にその家族は嬉しいのかね?
気持ちは分からなくはない。分からなくはないけど、人としてどうなの?
親は元からそういう人だから、人目とかは全く気にしなくて問題ないだろうけれど、
少なからずとも子供は、学校や地域での居心地が悪くなってしまうのではないのかね?
いちいち学校に干渉しすぎる親も、子供の為にやっているんだか、自分の為にやっいてるんだか、訳分からなくなっちゃってるんじゃないの?
だって、誰のためにもならないもんな。
エゴが通って親も子も満足しているようなら、何処かの国の財閥と一緒だ。
でも、勘違いをしてほしくないのは、無関心とか耐え忍ぶとかが正しい事だと言っている訳ではない。
子供がいつも元気ないとか、逆に明るく取り繕っているとか、何か隠し事をしているとか、学校へ行きたくないとかのサインを見逃さず、もちろんそういう発見があったなら、積極的に学校へ出向くべきだと思う。
難しいよな、過保護にならないって。
自分も成人した娘達に散々小言を言って、いつまでたっても赤ちゃん扱いみたいな時があるから。
煙たがられるけど、彼女たちのほうが大人なので受け流されている。
相手にされていない幼稚な自分。
親の知らぬ間に、色々な場面で人間関係に揉まれていい人間に育ったんじゃないかと。
みんな、人生の数えきれないシーンの中で、時々は悔しい思いと、歯痒い思いとを経験しながら、味のある人間になっていくもんなんじゃないのかな。
歯痒い3羽
2017/10/09更新