最近の正月はなんかあっけないですね。
堂々と昼間から酒が飲める以外、世間にちっとも正月雰囲気が漂っていないというか…
すみません、嘘です。
普段の休日も昼間からビール飲んじゃう自分の事はさておき、近所で凧揚げをしている人の姿を見ることはありませんし、ましてや羽根つきなんて昭和以前の遊びをいまだに楽しむ人がいるんでしょうかね?
しかし、自分の周りにはいないだけで、遊んでいる方がいるのなら喜ばしいことです。
あっ、サザエさんちの近所ではいまだに流行っているんでしょうけれど。
ナウなヤングは知らない方もいると思うので補足ですが、日本版バトミントンとでもいうんでしょうかね。
ただ、しくじった場合には顔に墨で落書きをされるという辱めを受ける点は、唯一バトミントンとは違いますが。
出典:File:Kusakabe Kimbei - 152 Girls Playing at Hane.jpg - Wikimedia Commons
余談ですが、『羽根つき』で検索してみたら、餃子と生理用品が真っ先に出てきましたよ。
時代です。結局そういうことなんですな。
前置きはこれくらいにして本題に入ります。
最近始まったことではないのですが、同僚や先輩との会話でやたらと「友達と出かける」という話しを耳にします。
これはいわゆる、『飲み(食事)に行く』という意味なのでしょうが、それを発言している人は自分と同い年か、またはそれ以上の人なのです。
・・・しかし、恥ずかしながら自分には【友達】と胸を張って言える人がいません。
強いて言えば、亡くなった旦那か、娘二人でしょう。
「そりゃ家族だろっ⁉」の突っ込みはごもっともなのですが、とにかく他人に変な気を遣うということ自体が、自分には耐え難い事なのです。
たとえば、ちょっと知っている人と食事をしなくてはならない時なんて、軽く罰ゲームというんですか、美味しいものも分からなくなるくらい気を遣ってしまうので、できれば避けたいイベントです。
「シーン・・・」の間が本当に嫌なんです。
だから、「シーン・・・」の間があっても全然気にならない人とでなければ楽しめないというか。
「そんな小さいことを気にし過ぎだから友達出来ないんだよ」の意見もごもっともなんですけれどね。
記憶をさかのぼってみても、いつの時代に友達と呼べる間柄の人がいたのだろうと、考えなくては出てこないというのがまずいですよね。
パッと思い出して言えるとしたら、幼稚園時代に2人、小学生時代に2人、中学生時代に3人…それ以降はあまり。
といった微々たるものです。
そこで、自分が思う【友達】の定義としては、気を遣わず言いたいことを言えて、笑いや趣味を共有できるといった感じでしょうか。
とも‐だち【友達】
互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。友人。朋友(ほうゆう)。友。「友達になる」「遊び友達」「飲み友達」
世間の常識を参照させてもらいますと、自分の思っている事とそれほど違っていないようです。
自分以外の人達が【友達】の定義をどう思っているのかは分かりませんが、自分の同世代・先輩たちが【友達】と言える人がいて、正直うらやましく思ったりもします。
とは言え、自分があまりにも寂しくみじめな人間とも思われたくないので少し強がりますと、自分が思う【仲間】や【知り合い】はそこそこいるのです。
ともかくですね、仕事の合間というか、とにかくプライベートでない場合だったら、よっぽどの人でない限り、自分に無理のないふざけた話しというか、腹がよじれるほど笑えるような話しもできるんですけどね…
なか‐ま【仲間】
1 一緒に物事をする間柄。また、その人。「趣味を同じにする仲間に加わる」「飲み仲間」
2 地位・職業などの同じ人々。「文士の仲間」
3 同じ種類のもの。同類。「オオカミは犬の仲間だ」
4 近世、商工業者の同業組合。官許を得たものを株仲間といった。
しりあい【知り合い・知合い】
知り合うこと。また、知り合った相手の人。知人。 「 -になる」 「あの人は私の-です」 「その町には-が大勢いる」
で、結局何が言いたいのかといいますと。
この先どんどん老いていく自分ですし、娘二人だってずっとそばにいてくれるとは限りません。
だから中年になって今更なんですけれど、今年中に、変な気を遣わずに旅行に行ったり、酒飲みながらバカを言えたり、時には不安を愚痴れる友達を作れたらいいなと思っているんです。
難しいかな?・・・