旦那ががんを宣告されてからは、自分はただがむしゃらに看病する無機質な人間になっていた。
『あの時無理やり病院へ連れて行けば…』『娘たちに動揺を見せてはならない…』
そんなことばかり考えていた。
明らかに以前とは悪い意味で違う自分。ただ、そんな自分に対しても惑わされず、何一つ代わることのないのんきな旦那と、冷静で穏やかな娘たちが唯一の心の救いだった。
旦那が亡くなってから早6年。
見つかった時にはすでに肝転移していたので予後は厳しかったけれど、このふざけたおじさんなら治っちゃうんじゃないの?なんて、淡い期待を抱いていたのは嘘ではない。
でも、結局は告知から2年で亡くなってしまったのだけれど。
旦那の葬式やらがひと段落し、職場へ復帰したときには皆が「大変だったね」という言葉をかけてくれた。
しかし、当時の自分にしてみれば、「だったね」って何?である。
声をかけられるたびに、『違う、過去形じゃない。これからだろう本番はっ!?』と、内心複雑な胸中になったが、言ったその人に悪気があるわけではなく、むしろ自分を気遣っての言葉だと分かっていたから、なおさら心の中がもやもやしてしまった。
な~んて暗い話しは過去のこと。
本日の話題はネットでたまたま目についた【没イチ】の話題。
何年か前からあった言葉のようだけれど、今まで全然知らなかった。
なんでも、配偶者に先立たれてしまった人のことを言うらしいが、言い出しっぺは誰だか知らないけれど、うまいこと言うなぁと少し感心してしまった。
そして【没イチ】という言葉、決していい響きではないが、【バツイチ】とは違い、ほとんどの夫婦がいつかは直面する問題だ。
配偶者を亡くした人に対しては、しばらくの間「かわいそう」という目がつきまとうし、死別した人のことを話すと、暗い雰囲気になったりするのも仕方のないこと。
だからなおさら、相手に気を使わせないためにもいいんじゃないかなと思う。
『わたし、没イチで~す』で。
海老蔵さんは最低な言葉だってはっきり言ってるらしいが、確かによく知らない相手に【没イチ】って呼ばれるのはさすがに嫌だけど、自分から言う分には問題ないかな。
というか、『そんなの気にしない』っていう心の余裕ができたとでも言った方が正しいが。
時間って本当にありがたい。
何事もなかったかのように過ごしていられるんだもの。
薄情って言われればそれまでだけれど、苦しみから解放されてどんどん自由になってきた。
でも、大丈夫。楽しいことは一つも忘れていないから。
わたし没イチっ♪