Every day is a new day.

日常から非日常まで知りたいことだらけ!

日清カップヌードルミュージアムに行って、同い年のカップヌードルの勉強をした。

 

失ったのは財産だけではないか。

その分だけ経験が血や肉となって身についた。

 安藤百福

 

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誰もやっていない新しいことをやりたいと、22歳の若さで安藤百福氏は繊維商社『東洋莫大小(とうようメリヤス)』を設立し、大成功を収めた。

当時、肌着や靴下など伸縮性のある編み物生地を扱う商社は少なく、

時代の流れをいち早くキャッチして、すぐに事業化するベンチャー精神と、失敗してもあきらめないバイタリティーはこの頃から持っていた。

 

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しかし1957年、安藤百福氏が理事長を務めていた信用組合が破綻した。

すべての財産を失い、残ったのは大阪府池田市の借家だけだった。

  

そんな中、戦後の闇市を通りかかった安藤氏は、一杯のラーメンに群がる人たちを見てラーメンに興味を持ち、日本人が麺類好きであることを実感したのと同時に、この行列に大きな需要が隠されていることを確信した。

 

 

お湯があれば家庭ですぐ食べられるラーメン を作ろう

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自宅の裏庭に建てた小屋で、お湯があれば家庭ですぐ食べられるラーメンの研究を始めた。

保存性と簡便性の実現こそが、インスタントラーメンの開発における最も高い壁だった。

 

妻がてんぷらを揚げるのを見て閃いた。

即席性と保存性の確保、大量生産する技術を手に入れるため、失敗をくりかえすが、

天ぷらの原理を応用しようと麺を油で揚げてみると、麺の水分が高温の油ではじき出され、ほぼ完全に乾燥した状態となった麺は、半年間置いても変質したり腐敗したりしない保存性があり、簡便性についても、注いだお湯が水分の抜けた穴から吸収されて麺全体に浸透し、元のやわらかい状態に戻った。

 

インスタントラーメンの基本となる製造技術〈瞬間油熱乾燥法〉

1958年8月25日、世界初のインスタントラーメンチキンラーメンを発売。

お湯を注いで2分で食べられるというところから、当時の常識では考えられず、

魔法のラーメンと呼ばれ、あっという間に人気商品に。

 

しかしチキンラーメンの好評を受けて、追随する業者の模造品や粗悪品の苦情が相次ぎ、会社と商品の信用を守るために、商標と特許を申請した。

 

 

カップヌードル

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アメリカ人がチキンヌードルを二つ折りにして、紙コップに入れフォークで食べているのを見て、カップ麺の発想を手に入れた安藤氏。

1971年9月18日、世界初のカップ麺が国内で発売される。

当初販売に苦戦するが、1972年(昭和47年)2月、あさま山荘事件中継放送で、凍えるような寒さの中、湯気の上がるカップヌードルを食べる機動隊員の姿が映され、

興味を持った視聴者から「何を食べているのか?」の問い合わせが殺到し、これが事実上の宣伝となって、爆発的な売れ行きを伸ばした。

 

 

 

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その後も2001年には宇宙食ラーメンスペース・ラムの開発に着手し、

2005年(平成17)NASAフード・ラボから宇宙食としての認可を得た。

スペース・ラムは2005年7月、スペースシャトル・ディスカバリー号に搭載されて宇宙へ出発した。この時安藤氏は95歳。

 

いまだ!バカやろう!

一度や二度の失敗にくじけず、何かに夢中になれることがあるって、うらやましいな。

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