日本臨床救急医学会は、末期ガンや高齢者(終末期にある人)が心肺停止状態になった場合、救急隊員が駆けつけた際には心肺蘇生などの救命措置を取ることを原則としたうえで、かかりつけ医などに連絡して、救命措置を望まないという患者の意思を確認できた場合は、搬送や救命の措置を取りやめることができる提言をまとめて公表した。
出典:救命救急センター « 診療科・部門の案内 川口市立医療センター(災害拠点病院)
実際に自分がその立場にならなければ、その時の心境など到底分かることはできないの
で軽々しくは言えないが、患者の家族の立場から言うと、
『もう、そっとしといてやって下さい』
が一番近い思いである。
なぜならば、必死の蘇生措置をして頂いて、万が一息を吹き返せたとしても、本人も周囲の人間も、また人生の中で一番辛い経験を繰り返さなくてはならないことになってしまうから。
しかし、最期の時に皆さんとお別れをさせてあげようと、何とか心臓が止まらないように処置してくれる医師や救命士、看護師の努力もありがたいが。
自分はと言うと、旦那の最期の時に一緒にいられなかったということを大変後悔していて、これに関しては、今後自分が死ぬ時までずっと後悔し続けることになるのである。
しかし、素人目で見てもあきらかに亡くなっている旦那に対して、病院側のマニュアル的な事だから仕方ないのだろうけれど、きちんと寝姿を整えた後から、フラットになっている波形を見せて確認させるためだろうが、心電図のモニターをつけるといった対応に、違和感を覚え不思議な気持ちになったのを思い出す。
ただ救われたのは、尋常でない旦那を発見した自分は、慌てて先生を呼びに行ったのだが、来てくれた担当の先生が紫色になっていた旦那の四肢を見て、
『これ以上は可哀想だから、やめておこう』
と親身に言ってくれたことだった。
自分には親戚が少なく、物心付いた時点で祖父や祖母といった存在もいなかったので、良いか悪いか人の死というものを間近に体験した数が少ない、と思う。
なので、これから息を引き取ろうとする人に対して、一秒でも長く耐えてもらうようにするのが良いのか、それとも、その人の命の灯を自然に任せて消えるまで灯らせておくのか・・・答えは全く分からない(答えはないと思う)が、
日本臨床救急医学会は、今回の提言は強制的なものではないとしているものの、これをきっかけに、国民一人一人が自分の最期の時をどう迎えるのか、意思表示についても関心を持ってもらいたいという事らしい。
・・・
死ぬ前の人間の感情的なものや、視覚、嗅覚、触覚、味覚、聴覚などがどのような状態で機能しているのか、その時までその人にだけしか分からない事だが、
ただ、死ぬ間際には自分がありがとうを伝えたい人がそばにいて欲しいと思う。