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Every day is a new day.

たべこ一家とうさぎ一家の何気ない日常

旦那が亡くなって、少しホッとしたのを思い出した。後編

 

ー前書きー 

2012年10月、旦那が大腸がんで亡くなった。

自分より11年先輩だが、それにしても若すぎる死だった。

月日が過ぎるのは早いもので、光陰矢の如し、今日に至るまでがあっという間だった。

 

今のところ、毎日思い出さない日はない。

生身の身体がないだけで、目には見えないが、存在感はそれなりにあると思う。

毎晩の晩酌の乾杯もしている。

だからと言って、自分が霊感があるのかと言えば、全くもってない。

 

正直な気持ちというか、今の感情に一番近い表現をするなら、

「旦那は長期出張へ行っている」

と言ったところかな。

未だに死んだことが信じられないっていうんだから、どうしようもない。

焼き場へ行って骨になったのを、この目で見たのに。

 

がんが分かってから僅か二年半で亡くなってしまった。

 

 

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退院当日に退院祝い会を自ら催した

オペ後の痛みが無くなり、抗がん剤治療も終わると、出された病院食では足りな過ぎると言っては、こっそり院内のレストランに行ってみたり、売店で買い食いしたりと、まったくがん患者とは思えない回復ぶりで退院することが出来た。

 

そして人づきあいの良すぎる旦那は、退院した晩に、お見舞いに来てくれた同僚や後輩たちを連れて飲みに出かけてしまったのだ。

退院する日が分かった時点で、根回ししていたらしい。

さすがに、「退院当日はいくらなんでも」と強く注意しても、とぼけるだけで言う事は聞いてくれなかった。

「頼むよぉ、たべこも一緒に来て」

・・・仕方なく出かけた。

 

体力もまだ完全ではないから、さすがに早く切り上げるだろうと思っていたし、当の本人だって「一次会で今日はお開きだな」と言っていたにもかかわらず、結局はカラオケまで行ってしまって午前様。

心配する周りをよそに、久々に酒が飲めたことで盛り上がってしまい、本当に楽しそうにしている旦那を、誰も止めることが出来なかった。

 

今思えば、大勢の仲間たちと飲み会できたのは、この日が最後だった・・・

 

 

順調な回復ぶり

退院後も2週間に一回の抗がん剤治療と、3か月に一回の外科受診を受けていた。

肝臓にあった転移がんも徐々に縮小してきて、もしかしたらこのまま完治できるんじゃないかと思ったりもした。

 

仕事だけは真面目だった旦那。

抗がん剤治療の日も、腰のウエストポーチに抗がん剤を入れて仕事していた。

それだけは本当に頭が下がる思いというか、「あぁ、男だなぁ」とつくづく思った。

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抗がん剤を少量ずつ送り出すポンプ。中にゴム製のバルーンがあり、この中に抗がん剤を入れる。

出典:CVポート&ポンプを駆使した抗がん剤治療の長所と短所 「ながら」化学療法を受ける新時代の生き方 | がんサポート

 

 

酒も煙草もやめなかった

さすがに入院中は酒を飲めなかったが、煙草は点滴台をお供にわざわざ外へ行って吸っていた。

誰にも見つからないようにと、こっそり部屋に戻ろうとしても、いつも誰かしらにバレていたらしい。

その度に師長さんに「煙草臭いっ、だめでしょっ!」と怒られては、

「あれっ、見つかっちゃった」

って子供みたいにおどけて見せて、一緒にいる自分の方が反省したのを覚えている。

 

退院後と言えばそれはもう・・・本来の生活に逆戻り。

旦那の大腸がん一番の原因と思われる、過剰なアルコール摂取。

過去の仕事の付き合いでの毎日の過度な飲酒が、じわじわと何年もかけて大腸がんを育ててしまったのだ。

 

しかし 毎晩の酒盛りはやめられなかった。

とは言っても、数年前からは控えめになってきたけれど。

 

外食はあまり好きではなかった。

自分が作って出したものは何一つ文句を言わず、

なんでも「うまい」と言って食べた。

そして、診察日の度に体重が少しずつ増えていく旦那を先生たちは、

「抗がん剤の副作用で体重増加ですか」

とニコニコしながら言い、それから旦那と世間話を始めだすのがお決まりのコース。

普段いかつい顔をしている先生が、旦那としゃべりながら笑っているのを見ると、

「あぁ、あの先生も笑えるんだ」「なんだ、いい先生じゃん」

新たな発見も沢山あった。

 

 

肝臓に転移したがんを切除 

抗がん剤もいい感じに作用していて、大腸にも再発は今のところ見られないという事で、転移巣を切除すれば完治できるかもしれないという、一筋の光が見えた。 

 

がんが分かってから1年後の2011年6月、肝臓へ転移したがんの切除術を受けた

出血が多かったら輸血をしなければならないという説明+前回と同様の手術の説明を受け、大がかりな手術に挑んだ旦那。

 

6時間にも及ぶ手術が無事済んだ。

病院で待機していた自分は、先生の労をねぎらうと同時に、ICUに移室された旦那を見舞った。

声掛けにもすぐ反応し、もうろうとしながらも冗談を言っていた。

ばかだな・・・

 

腹を2回も掻っ捌かれ辛い思いをしたのだから、治ってもらわなくては困る。

「絶対治る」

家へ戻る車の中で何度もつぶやいた。 

 

 

いたちごっこ

術後半年の再診時、撮影したCT画像では肝臓がだいぶ元通りになっていたのが分かった。

「やっぱ、肝臓すごいなぁ」と心の中で少しうきうきしながら感心していた。

 

そんな自分とは対照的に、無言で画像を見つめる先生の眉間にしわが寄った。

「ここにまたありますねぇ・・・」

元から残っていた肝臓に、また新たに転移がんが顔を出していたのだ。

 

細胞レベルの話しでは、到底人間の目はかなわない。

抗がん剤でがんを叩いていたとしても、あくまでも縮小が目的で、完治するという事は大腸がんの場合では今のところないらしい。

 

しかし、旦那はわざとか素なのか分からないが、全く冷静だった。

おまけに、インターネットやら携帯といったものは普段から利用したことがあまりないので、ネガティブな情報を知られなくてそれはそれで良かった。

 

 

人が変わった⁉

抗がん剤で体力が落ちてしまって元気がないのか?

いつまでも終わることのない治療に、イラついてしまっているのか?

あれだけおちゃらけおじさんだったのに、ふざけた冗談を言う事も少なくなって、なんだかおとなしくなってしまったようだ。

 

「そりゃ、ネガティブにもなるわな」

いつも一緒に生活している自分は、旦那のわずかな変化をそうとらえていた。

 

 

脳転移

しかし2012年に入ってから、「思うように歩けない・右手に力が入らない」と訴えてくるようになった。

頚椎症性脊髄症があるからそのせいだと、通っている病院の整形を受診。

MRI撮影をしたら案の定、かなり頸椎がきていて、手術しないと脊損になってしまうかもしれないという事で、今度は頸椎手術予定で整形病棟へ入院となってしまった。

 

その病棟には、外科病棟でお世話になっていた看護師が移動してきていた。

「○○さん、静かになっちゃったね?どうしたの?」

と旦那に声をかけてくれたが、

「がんになって、そうそう明るくしていられる人なんていない」

と、自分は心の中でつぶやいた。

 

しかし、どうも腑に落ちない看護師が、様子がおかしいと先生に報告したらしく、頭のCTを撮ることになった。

 

「そこまできてたか・・・」

CT写真には、頭の輪切りの左側に、他の部分とは明らかに違う色で映し出されている、いびつな丸いものがあった。

 

 

ガンマナイフ

2012年5月、放射線の力で頭に転移しているがんを小さくしようという事で、ガンマナイフ治療を受けた。

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出典: ガンマナイフ治療について | 日本ガンマナイフ研究会

 

ガンマナイフユニット内には、約200個のコバルト60線源が半球状に配置されており、これらの線源から発生したガンマ線が病巣部を集中的に照射します。照射時に貫通する頭皮、骨、脳、血管、神経への影響は少なく、照射を受けた病巣を徐々に凝固・壊死させます。頭部をフレームで固定するため、ターゲットへの照射の誤差は±0.5mmと高い精度が確保され、重要な組織が密集している頭蓋内においても正常な組織に与える影響を最小限にして治療を行うことができます。また手術が困難である脳深部の病巣に対しても治療が可能です。

ガンマナイフ治療の実際 日本ガンマナイフ研究会

 

3センチほどあったがんは、2回の治療でも思ったような効果はなく、腫瘍で圧迫されている脳のせいで旦那の具合は日に日に悪くなっていった。

 

 

開頭手術 

2017年7月に外科病棟へ入院。

意識レベルが悪くなり、脳外科へ転科。

頭の腫瘍を取り除けば、今よりは楽になるという事で、本人の意思も尊重し開頭手術へ踏み切った。

手術2日後にはICUから一般病棟の観察室へ移動。

寝ながらも髭剃りができるようになっていた。

 

右半身は麻痺してしまっていて、毎日リハビリに励んでいた。

少しでも奇跡が起きないかと祈りながら、自分もできるだけマッサージをしていた。

 

しかし、こんなフラフラな人に未だに抗がん剤治療をさせている医師に、半ば疑問を抱いていたが、結局されるがままだった。

 

今思えば、末期がんは治療なんかしないほうが、よっぽど健康でいられるというか、人生を楽しめるというか、なんて思っていたりもする。

 

しかしみなさんは、少しでも不安なことがあったら、早く病院へかかってください。

 

 

少しホッとした

旦那ががんだと分かってから、一度も余命という言葉を口に出したことがなかった。

そして、そんな自分を察しての事か、先生からも言ってくるようなことはなかった。

 

あっ、唯一脳外科の先生が、

「外科の先生に聞いたら、3か月位と言っていたから、俺が3か月は持つようにしてやる」

って、聞きたくない事を言われたっけ。

それで改めて現実に引き戻されたというか、知ったというか・・・

 

余命なんてあてにはならん。

と心では思っていても、目の前の旦那を見舞うたびに、これから起こるであろう事態に自分の生活が支配されていた。

毎日毎日、迫りくる何かに対して怯えていた。

 

どうしよう・・・

頭の中はそれだけだった。

 

車いすで院外を散歩するのを楽しみに待つ旦那。

僅かな期間で違う人になってしまった。

会話もできたが、少し短気になってしまったか?

まぁ、元が怒ることを忘れてしまったような人だったから仕方ないか。

 

同じような朝、旦那のところへ行って一緒にテレビを見て、また来るねと部屋を出た。

 

それが最後だった。

 

昼前旦那の所へ行った時には、亡くなっていた。

慌てて先生の所へかけつけたが、明らかに死んでいたのが分かった。

 

とうとうこの日がきた。

覚悟する時間はある程度あった。

しかし世間知らずの自分は何もできない。

いつも何をするにも旦那に頼りっぱなしだったのだ。

嫌な事からは目をそむけていても、旦那が解決してくれた。

 

この先どうしたらいいのだろうという漠然とした不安を抱いたのと同時に、

もういつ来るかわからない不安に支配されることはなくなったのだと、

 正直、少しホッとしたかもしれなかった。

 

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