―前書きー
2012年10月、旦那が大腸がんで亡くなった。
自分より11年先輩だが、それにしても若すぎる死だった。
月日が過ぎるのは早いもので、光陰矢の如し、今日に至るまでがあっという間だった。
今のところ、毎日思い出さない日はない。
生身の身体がないだけで、目には見えないが、存在感はそれなりにあると思う。
毎晩の晩酌の乾杯もしている。
だからと言って、自分が霊感があるのかと言えば、全くもってない。
正直な気持ちというか、今の感情に一番近い表現をするなら、
「旦那は長期出張へ行っている」
と言ったところかな。
未だに死んだことが信じられないっていうんだから、どうしようもない。
焼き場へ行って骨になったのを、この目で見たのに。
がんが分かってから僅か二年半で亡くなってしまった。
今までにない腹痛
2009年11月、とにかく頑丈で、病気で寝込むようなことなどなかった人が、珍しく腹が痛いと言いに自分の勤め先に来た。
電話一本で済むことなのに、ましてや今まで冠婚葬祭以外は休んだことのない人が、早退してまでわざわざ自分に「病院へ行きたい」言いに来たのだ。
しかし自分は職場から離れることが出来なかったため、
「絶対病院へ行って」とだけ言って、旦那を一人で帰してしまった。
胆のう結石?
やはり相当腹が痛かったと見えて、真面目に病院へ行ったらしい。
腹部エコーの結果、
「胆のうにポリープらしいものがあるが、それ以外はよく分からない」
ということで、ブスコパン(胃炎や下痢、胆管炎、胆石などによる腹痛に広く用いられる)をもらって帰ってきた。
思えばその時から運命選択が始まっていた気がする。
一緒に暮らし始めてから、医者にかかった事なんてない人が、病院へ行くという決心をする事と、
意を決して行った病院で旦那が通されたのが内科。
受付で症状を聞かれ、腹が痛い→内科といった感じでまわされたのだと思うが、そこで外科だったらまた違う検査をしてくれたのではと思ったりもした。
というか、内科医だって普通だったらイレウス(腸閉塞)とか分かるよな?
急な腹痛という事で胆石あたりを疑ったのだと思うが、患者は中年のおじさんなのだから、多少の被曝は気にせずに、CTでも一発撮ってくれたらすぐ分かったのに。
というかCT以前に、腹のレントゲンを撮っていればある程度分かっていたはず。
結局は先生がイマイチだったのだ・・・
「あの時病院に行っていれば・・・」
今更だが、「あの時病院に行っていれば」という後悔は、今日まで何十回・何百回とし続けている。
そしてこれから先、自分が死ぬまで後悔し続けることになる。
車にはねられたって怪我するような人じゃないと思っていたし、病院へ掛かりに行った後だって、特に何の異常もないと言っていたから、二人して結局何だったんだろう?
くらいな感じで終わりにしていたのだが、結局はそうではなかった。
半年後にはまた同じ症状が出て、同じ病院へ行った。
その日は自分も休みだったため、一緒に病院へ行けたが、検査や治療が色々あるという事で、自分だけ一時帰宅した。
家で待っている間はというと、ネットで旦那の症状に当てはまる病気を検索していたが、探せど探せどあまりいい答えが出てこなかった。
どうにか治りそうな記事を探しては、「これかぁ、この病気だ」と勝手に旦那の病名を決めつけて、どうにかやり過ごしていた。
見知らぬ電話番号
普段滅多に鳴ることのない、時計代わりの携帯電話の呼び出し音が鳴った。
「えっ!?誰?どこから?」
・・・知らない電話番号。
「あっ、旦那電話持って行かなかったから、迎えに来いの電話か。するとこの番号は病院のか?そうか、病院で電話借してもらったんだ」
自分:「はい、たべこです」
相手:『もしもし~、○○病院です。たべこさんですかぁ?』
自分:「はい、そうです」
相手:「旦那さんの事でお話があるので来てもらえますかぁ?」
自分:「・・・はい」
のちに相手とは看護師さんだったことが判明した。
車で病院へ向かう途中は、よく覚えてはいない。
ただ、自分が事故を起こさなようにと一生懸命だったのだけ覚えている。
主治医からの説明
病院へは車で僅か10分くらいの距離。
就いた時には旦那は検査中で会えることができなかった。
しばらく待っていると車いすに乗っている旦那と、それを押す看護師の姿。
看護師からは、旦那は入院しなければならないという事と、先生から話があるので自分だけ先生の所へ行くようにと伝えられた。
そして主治医の所へ行って挨拶を済ませると、さっそく病状の説明が始まった。
持病がある人や年寄りではない限り、若い人がイレウスになることはあまりないらしく、一番疑われる原因というのは、腫瘍があってそこが詰まってしまうという話しだった。
そして旦那の場合、イレウスを起こしている原因は腫瘍【がん】が一番濃厚だという事を伝えられた。
さらに主治医は、シャーカステンにかけられたCTフィルムの一部分を見ながら、
「肝臓のこの小さいのも気になるんですよね」
と、二つの数ミリの丸い影を指した。
がん宣告だけでなく、すでに転移まであると聞かされて、
「そんな一気に不幸が訪れても頭の中で処理しきれないよ」
といった感じで、まだこの時はあまり実感がわかなかった。
そして説明が終わった後本能的に、
「本人には、転移していることはまだ言わないでください」
と病棟の婦長さんにお願いした。
家へ帰ることなく入院
病院側としては、いつ破裂してもおかしくない大腸を持つ男を、そうたやすく自宅へ帰らすことを認めてくれる訳もなく、この日から約二か月の入院生活を余儀なくされた。
処置を終えて病室にやってきた旦那は、痛みがまったくなくなったと見えて、普段通りのおちゃらけおじさんに戻っていた。
「何言われた?もうダメだって?」
半ば冗談交じりに聞く旦那に、
「いや、○○に言ったことと同じこと言われたと思うよ」と答え、
先生が「旦那さんにはこう説明しました」と言ったところを思い出し、それをもう一度伝えた。
院内を探検する・ひたすらテレビカードを無駄使いする・隠れて喫煙する・漫画や小説を読むくらいしかやることが無い、長い退屈な入院生活が始まった。
この時子供二人は、高1と中3だった。
つづく