みなさん、一度は目にしたことがあろう○○リボン。
アウェアネス・リボン
着用することで社会問題や難病に対して支援を行なっているということや、関心を持っているという意思を表す方法として使用されている。
リボンの色にはそれぞれ意味がある。
ホワイトリボン
栄養失調や劣悪な衛生環境・医療サービスの欠如等で、途上国では多くの女性が妊娠・出産で命を落としてしまう為、
お母さん・赤ちゃんをの命を救うためにホワイトリボン運動がスタートした。
白いリボンには、妊娠や出産で亡くなってしまった女性たちへの哀悼の意が込められている。
全ての女性が安心して妊娠・出産できる世界を目指す。
レッドリボン
古くはヨーロッパに伝承される風習の一つで、病気や事故で人生を全うできなかった人達に追悼の気持ちを表す為のものだった。
エイズの為にレッドリボンが使われるようになったのは、アメリカでエイズが社会的問題になってきた1990年ころ。
ニューヨークのアーティストたちにもエイズがひろがり、死亡してしまう人々が増えていった。
そうした仲間たちに対する追悼の気持ちと、エイズに苦しむ人々への理解と支援の意思を示すため、レッドリボン運動が始まった。
レッドリボンは、あなたがエイズに関して偏見をもっていない、エイズと共に生きる人々を差別しないというメッセージ。
ピンクリボン
乳がん検診を受ける・早期発見の大切さを伝えるピンクリボンは、世界共通のシンボルマーク。
バッジを身に着けることで、まずは自分が乳がんを意識して、それを見ている周囲の人たちにも、乳がんに気を配るきっかけを提供することができる。
オレンジリボン
2004年栃木県小山市で、3歳と4歳の兄弟が、父親の友人から度重なる暴力を受け、通報により一旦は保護されたが、周辺機関が適切な処置を行わなかった為に、再び暴力を受け、最後は川に投げ込まれて殺害されてしまった・・・
この悲惨な事件をきっかけに、翌年の2005年、栃木県小山市の『カンガルーOYAMA』という団体が、二度とこのような事件が起こらないようにという願いを込めて、
子供虐待防止を目指し、オレンジリボン運動を開始した。
このオレンジの色は、里親家庭で育った子どもたちが『子どもたちの明るい未来』を示す色として選んだといわれている。
イエローリボン
イエローリボン運動とは?人々の意識を変え、まちを変え、障害のある人もない人も共に暮らし、すべての人が参加できる社会をみんなでつくっていく取り組みです。
日本障害フォーラムは、2006年に国連で採択され、2014年1月に日本が批准した障害者権利条約の実施を通じて、障害のある人びとの社会参加を推進していくために、<イエローリボン>運動を提唱しています。
「障害のある人々は同年齢の市民と同等の権利をもっている」と国連が障害者権利宣言を採択したのは1975年のことです。30年の歳月を経た2006年、これを実現するための国際条約として、障害者権利条約は採択されました。
障害者権利条約は、障害のある人が人としての尊厳を尊重され、社会生活のあらゆる面で権利が保障されることを国際的に約束したものです。どんなに重い障害があっても、住みなれたまちで、心ゆたかにその人らしく暮らし、学び、働くことができる、権利条約はそうした社会をめざしています。
<イエローリボン>は、そのような社会を、すべての人と共につくっていくためのシンボルマークです。
グリーンリボン
世界的な移植医療のシンボルマーク。
成長と新しい命を表すグリーンといわれ、
『Gift of life(いのちの贈りもの)』によって結ばれた臓器を提供される方と、移植が必要な患者さんの『いのち』のつながりを表現している。
死後の善意による無償の臓器提供がなければ成り立たない社会性の高い医療であり、『人が人を助けたいと思う気持ち』が原点となっている。
うぐいすリボン
出典:うぐいすリボン
うぐいすは、自由にさえずる小鳥をイメージしたシンボルマーク。
『次の世代に自由な社会と豊かな文化を伝えたい』
という願いが込められている。
うぐいすリボンが、政治的・社会的立場の違いを乗り越え、思想・信条の異なる者同士が互いの自由を守ろうと手を差し伸べ合える運動でありたいと考えています。
呼びかけ人 荻野幸太郎
数あるアウェアネスリボン中から、皆さんよく知っているものから、うぐいすリボンなる変わり種も取り上げてみた。
自分は職場関係上ピンクリボンを毎日目にする。
また運転中、他車に色々なリボンが貼っているのをよく見かける。
あまりにペタペタと貼ってあるのを見ると、当の本人はリボンの意味を理解したうえでのことなのか?と疑問に思う事もある。
そして、アウェアネスリボンの増加は『見せかけの支援』偽善を許す行為であるスラックティビズムであると批判された。
スラックティビズム(英)は、「怠け者(slacker)」と「社会運動(activism)」とを掛け合わせた合成語である。労力や負担を負わずに、社会運動めいたことをする行為を指す。
この用語は、社会に意味のある影響を与えていないのに、社会にとって良い活動をしたつもりになる自己満足的行為について、軽蔑を込めて使われている。こうしたスラックティビスト(スラックティビズムにあたる行為をする人)たちの行為は、多くの場合、個人の労力や負担を必要としない。
ただし、難病や社会問題を真面目に助けたい・応援したいと思っている人や、すでに実践している人がたくさんいるのは事実な訳で、それは尊重されなければならない。
自分ができる範囲内だけれど、助けを求めている人たちには見せかけだけでなくて、心からの支援ができるような人間になりたいと思った。