『普通さぁ~・・・』
最近?というか年を重ねるごとに、ついつい口にしてしまう決まり文句。
挨拶できない者へ
間違った言葉遣いをする者へ
返事ができない者へ
礼が言えない者へ
謝罪できない者へ
つい、カチンときて同僚や家族に愚痴る。
出典:ff14sc.com
「お前がそんなこと言えるほど立派な人間なのかよ!」
と、つっこまれたらそれまでなのだが、とりあえず自分が文句の一つを言ったところで、地域社会には何一つ影響が出ないと思っているので、ついつい口にしてしまう。
『あっちが間違っていることをさぁ、こちらは下手に出て訂正を求めているのに、「はぁ…」の一言だよ、どういうつもりなんだろうね、やってられんわ!
普通はさぁ、こっちは悪くはないのに円満に済ませようとしているんだからさ、向こうだって、申し訳ないという歩み寄りの気持ちくらい、少しは持てないものかねっ⁉』
『何なんだ⁉あの店員は。
契約社員なんだか、正社員なんだか知らないけれど、顔の筋肉っちゅうもんがないのかね?遠くを見つめながら機械的に説明されても、ほとんどこちらには伝わらないんだよっ!一応あんただって接客業を選んで仕事をしているんだから普通はさぁ、表向きぐらい愛想よくするもんだろ⁉』
・・・
勤め先でも、各々が日々の生活上に体験した対人関係のいざこざを、数十年前に学生時代の部活動で体験したであろう先輩後輩間の厳しかった上下関係と重ね合わせ、
『あの部署のあの人は言葉遣いがなっていない』
『あそこの店員は、よくクビにならないよね』
と、口をとがらせ興奮気味に話す人に共感しながら、毎日のお茶の時間が異様に盛り上がるという日々が続いている。
『普通はあんなこと言わないだろ?』
『普通はあんなところに置かないだろ?』
『普通は言わなくても分かるだろう?』
『普通は・・・』
しかし、ふと思った。
自分たちがいくら文句を言おうとも、世間や会社はきちんと回っている。
いくらクライアントやお客さんからのお叱りを受けたとしても、ほぼ結果オーライなのだ。
普通っていったいなんだ?
普通=一般=ありふれる
普通とは、特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。
一般とは、ありふれていること。あたりまえ。普通。
ありふれるとは、どこにでもある。ざらにある。普通であって珍しくない。
要するに【普通】とは、ほとんどの人たちに標準装備されている物だから、希少価値はない。
表現が少し過度になってしまうが、普通とは無価値に近いのかもしれないと感じてしまった。
だから、普通を押し付ける人間もまた無価値なのではないのかとも。
一般に、上下関係を重視し、個人の自由や権利を認めない団塊世代の封建的考えと、旧来の制度・組織・方法・習慣などを改めて新しくする革新的な思想が混じり合う、何とも微妙な年頃の自分世代だから、とにかく、目についたもの全てに何かを発したいのだ。
例えば、頭で考えるより口が先に出てしまうというような感覚だろうか?
ただ、文句を言う数が増えれば増えるほど、疑問に思うことがある。
『なんであの人は、あんな態度をとられても何とも思わないのか?気に障らないのか?』
最近の旬はといえば、上司に対して、見ているこちらが冷っとするような発言を繰り出し続ける後輩。
しかし、どうやら傍目からすれば、上司はほとんど気にも止めずにいるように見える。
「本当の本当に、イラッとしていないのか?」
「内心はきっとむかついているでしょ?」
「他人の心をのぞける力があったらなぁ」
とまぁ、自分の心も分からない人間が、他人の心など分かるはずはないのだが。
気に入らないことが増えてきたということは、自分をおろそかにしてしまって、他人にばかり目を向けてしまっているのと同じなのかと最近意識するようになった。
きっと自分の生活が充実していないから、他人を非難することで、なんとか自分の正義らしきものを保とうとしているのかと。
とにかく、無価値なものを人に押し付け、いい気になっているおばさんは、もう時代遅れなのだ。
・・・
でも、常識ってもんがあるでしょう。
普通が一番ってことだってあるよ。
おっと、いけない。
世の中の基準なんて誰も分かりやしない。
普通が通用するような世界は、個性を殺してしまうような世界になってしまうんだよな、結局は。