小学5年生の男の子が頭のCTを撮りにきた。
頭部外傷で。
サッカーで頭でも蹴られたか?野球で球が頭にぶつかったか?
はたまた遊びに夢中になり、転んでどこかに頭をぶつけたか?
自転車でこけたか?
そして、CTを撮り終えた子の礼儀正しい事ったらありゃしない。
子供特有の無邪気な、それでいてあまり慣れていない強めの
「ありがとうございましたっ!」
あるいは、親に無理強いさせられて言う、あまり本意ではない
「ありがとうございました↓(ぼそぼそ弱め)」
とは明らかに違う。
とにかく、その年代の子の「ありがとうございました」ではなかった。
明らかにこちらの顔色をうかがいながら頭を下げて言う「ありがとうございました」と、
その子がCT室から出た後の母親の態度にとても違和感を感じ、しばらく気持ちがスッキリしなかった。
そして間もなくして、あの子は父親に殴られて母親が病院へ連れてきたという事と、怪我は頭だけではなく、腹や脚全体にもあざがあるということが分かった。
まさに嫌な予感が的中してしまった。
あんなにいい子になってしまったのは、大人の顔色を窺う癖がついてしまっているからだろう。
母親が言うには、
「この子が悪いんです。言う事を聞かなくて・・・」
百歩譲ったとしてもCT撮影後、その子が撮影室から出た時の母親の顔色は、他のお母さんとは全く違ったものだった。
診察を待っている時も居眠りをしている母親。
子供がCTまで撮影しなくてはならない事態に、あり得ないだろう、普通そんなこと。
身近にこういう事があるのだから、隠れたところではどれだけの数の虐待があるのだろうと考えるとぞっとする。
連日のニュースでも、虐待されて命を落としてしまう子の事件が後を絶たない。
ニュースを見るたびに耳をふさぎ、目を覆いたくなる。
もやもやした気持ちでこれを書いている中、ふと目に入ったネットの記事。
これを描いた小林裕美子さんの動いた気持ちと決意が手に取るように分かる。
ありがたいことに、子供を授かる為にさほど苦労をしなかった自分でも、この1ページを見ただけで涙が出てしまった。
仕事も趣味もなんでも自分の思うままに出来る生活よりも、自由な時間が少なくなっても子供と笑いあう毎日──小林さんがリスクより、未来の「宝」を選んだ瞬間だった。
こういう思いで赤ちゃんを待っている人がいる。
赤ちゃんは残念ながら親は選べないから、子供を大事に育てる人の元に赤ちゃんが産まれてくるように、神様のえこひいき的な力が発動すればよいのになと、幼稚な考えだが真剣にそう思っている。
かと言っても、みんなそれぞれ子育てには苦労がつきものな訳で。
子供が思うように言うことを聞いてくれなくて、旦那が協力してくれなくて、相談相手がいなくて、自分の自由な時間がとれなくて・・・
そうだよな、確かに辛い時あったな。
自分だって、言葉が通じない子に真剣になって怒ることもあった。
今となっては本当にかわいそうなことをしたと思う。
髪振り乱して、両手に子供二人を抱っこして、買い物袋を手に下げて、必死になって団地の階段を上ったの覚えてる。
長女が生まれた23歳の時、自分よりも10歳以上は年上のおばさまに『おばちゃん』と言われたのを思い出す(ふはは)。
だからと言って、あんなに純粋で自分を必要としてくれているわが子に、
どうして傷をつけることが出来るかね?
殴るってどういう事?
ご飯あげないってどういう事?
馬鹿だな。
何かに取りつかれた化け物だな。
子供を産むなら覚悟を持て、できないなら産むな。
産んだからには子供優先でしょ?どう考えたって。
自分の子に愛のない暴力をふるうような男や女からは逃げろ。
子供より相手を取るのなら、せめて産んだ責任で、子供の身の安全を確保してからにしてほしい。
行政の力って、今はどんなものなのかしら?
だって、児童相談所が怪しい家に何度も訪ねて行ったって、居留守使われて結局は悲惨なことになっていることが多いでしょ。
言葉で言ったってそういう人は分からないのだから、身をもって分からせるしかないんじゃないの?
毎日怯えて人の顔色を窺いながら、命の危機にさらされている子を、どうにかして助けられないものかね?
未来ある子供達が、自信をもって生きていけるように。