「担任のいじめ」有無分からない 学校側が説明一転
テレビ朝日系(ANN) 2/13(月) 17:41配信
説明を一転させて、学校側は「いじめがあったか」分からないとしました。
これは、愛知県一宮市の中学3年の男子生徒が6日、大阪市内で飛び降り自殺していた問題についての発言です。市の教育委員会によりますと、男子生徒は「担任に人生を壊された」などと記したメモを残していて、12日に行われた臨時のPTA総会でも、学校側は保護者らに対し、「担任によるいじめがあった」と説明したということです。しかし、13日の校長の会見では、いじめがあったかは分からないという立場を取りました。
男子生徒が通っていた中学校の校長:「遺族の気持ちを伝えることが大切だと思い、(いじめがあったと)発言をした」
また、会見では、去年に男子生徒が体育祭で骨折した際に担任が母親の問い合わせに対して多忙を理由に経緯を説明しなかったことなど、指導が不適切だったことを謝罪しました。「『不適切』だけではいじめと断定できない」と説明しています。
何で説明が二転三転するの?
そんなだから学校への不信感が深まるばかりなんだ。
生徒が先生に殺されたようなものだもんね?
これはいじめとかじゃなくて、もはや犯罪だろう。
命をかけて担任に訴えた生徒。
その命がけの行為が、訴えたい相手に届いたのか届かなかったのか、当の本人は決して知ることが出来ない最悪の手段を選んでしまった。
まだまだこれから先、豊かな人生が残っていたであろう若者。
今更、本当に今更なんだけれど、親兄弟を巻き込んで戦ってほしかった。
それほどまでに悔しく辛い思いがあったなら、人生を終わらせてしまう前に、担任や学校に思いを全部ぶちまけて、何なら一発ぶん殴っちゃえば良かったのに。
・・・すみません。
そういう事ができない優しい子だから、こんなことになってしまったんだよな。
親御さんもさぞかし悔しいだろう。想像を絶する。
先生・・・
こんな事件ばかりを見聞していると、先生なる人も子供と変わらない未熟な心の持ち主なのだという事がよく分かる。
教員試験って面接あるんだよね?
そこでふるいにかけられないのかね。
いずれにせよ、人を死に至らしめる行為をしていた先生を、周りの教職員は気づかなかったのか?
いや、気づいていたろうに。
ここでも見て見ぬふりなのか?
あるいは周りの職員たちも、今時の子供たちにイライラしていて、心の中では容認していたんじゃないだろうね。
まさかね、一度は先生を目指した人なのだから、そんないじわるな人はいないよね?
そう信じたいけれど、
もはや自分には『学校』・『先生』という立ち位置が分からない。
いじめを見て見ぬ振り・教師が生徒のいじめに加担する・教師本人が直接生徒をいじめる。
いったいどうなっているんだ?
本来、教員に求められる資質とは?
これからの教員には、変化の激しい時代にあって、子どもたちに自ら学び自ら考える力や豊かな人間性などの「生きる力」を育成する教育を行うことが期待される。
そのような観点から、今後特に教員には、まず、地球や人類の在り方を自ら考えるとともに、培った幅広い視野を教育活動に積極的に生かすことが求められる。
また、教員という職業自体が社会的に特に高い人格・識見を求められる性質のものであることから、教員は変化の時代を生きる社会人に必要な資質能力をも十分に兼ね備えていなければならず、これらを前提に、当然のこととして、教職に直接かかわる多様な資質能力を有することが必要である。
先生、先生になりたかった理由はなんですか?
初心は?
「先生なんてそんなもんだよ」
なんて思われてるんですよ、世の先生方。
少数派の悪い先生達の為に、先生に対するイメージダウンが止まらないって、
日々熱く生徒と接している先生方、悔しくないですか?
このままでは先生を先生と呼べなくなる日が来るのも近いかも。
単なる勉強を教えてくれる人ならば、塾で済むではないか。
何でもよく知っていて、時には優しく、時には厳しく、人として尊敬できる先生。
あなたには先生と呼べる人がいますか?