いくら食べても太らない人っているけれど、大概は年齢を重ねるごとにふっくらとしてくるもんだ。
心配することはない。
かく言う自分もそうだった。
フードファイターじゃないけれど、一緒に食事をしている人が引くくらい食べたって全然太らなかった。
友達が横で『ダイエットしなきゃ』なんてよく言っていたが、自分には全く関係のない事だと余裕をくれていた。
だって下手したら、いくら食べても飲んでも体重が減ってしまうくらいの勢いだったから。
これは絶対に何かの病気だと、若いながらも不安に思った自分は、仕事の合間をぬって数回医者にかかりに行ったが、これと言って異常は見つからなかった。
・・・
それがどうだろう。
数十年の月日は流れ、ちょっとやそっとの事では動揺することなどなくなった自分の身体は、打てば響くボディへと変化をとげたのだ!
食事や毎日の晩酌に気を遣い、『あ~、食べすぎたからポケモン余分にやらなきゃ』なんて、歩く距離を増やす始末。
おかげ様で体重は維持できているが、気を遣う作業が何となく辛く面倒くさい。
若い頃、真剣に不安に思った【自分は重病説】は、ただの取り越し苦労で済んだのだった。
人はなぜスリムになりたいのだろう?
スリムになりたい・・・
誰もが一度くらいはダイエットを意識したことがあるのではないだろうか?
健康でいたいから?
今までの自分を変えたいから?
スタイル良くなりたいから?
誰かを見返してやりたいから?
もてたいから?
持病がある人や明らかに太りすぎの人、健康診断の結果でダイエットしなくてはならないという人は、もちろん身体の為に努力していただきたい。
しかし問題は、見た目を考えたダイエットである。
あのモデルさんのようになりたい。
オシャレな服が似合うようになりたい。
誰もがうらやむナイスバディを・・・
いつも綺麗でいようとする姿勢は大事なことだが、過剰になりすぎてしまえば、もはや美ではなくなる。
特に若い女子たちはダイエットという言葉に敏感だが、そんな中でも、決して太っていない、むしろ痩せ気味の子が容姿を気にして体重計とにらめっこするという行動をとるのは、もはや理解不能。
たしかに、髪がぐしゃぐしゃで顔も洗わず、毎日同じ支度をしているというのは、さすがにいかがなものかと思うが、見た目ばかりを気にするのもどうかと思う。
素敵な見た目と中身が伴うのならともかく、いくら見た目ばかりを綺麗にしていても、ある程度経験を重ねた人が見れば、この人は上っ面だけだという事を簡単に見透かされてしまうだろう。
誰でも確実に痩せることが出来る日も近い?
近い将来、どこかの頭のいい人が「無害で誰でも簡単にダイエットできる薬」を開発するだろう。もしくは開発されていて、治験中かもしれない。
ふっ、あくまでも自分の空想だけれど・・・
その薬を服用した老若男女は、いともたやすく自分が思い描いていた通りの理想体型を手に入れることが出来る。
街中、ひょろっとした人々で埋め尽くされ、S・M・Lの概念はなくなり、丈だけのサイズになるだろう。
女(男)150・160・170といった具合に。
もはや現在の子供服の80・90・100・・・と何ら変わりはない。
あるとすれば男女の差だけ。
町中にはひょろひょろがあふれ、逆にダイエット薬に興味を示さなかった少数派の体形を維持する者達が注目されることに。
かつての憧れのモデル体形は、努力することなく誰でも手に入れることが出来るようになったため、憧れるものはいなくなり、もてはやされることはなくなった。
―以上、空想。
勝手なことを書いてしまったが、結局はない物ねだりかな?と。
容易く手に入れられてみんなと同じだったら、多分みんな欲しがらない。
一人で違うほうがいい。
個性ってそういうもんでしょ。
しかし、綺麗でいたいという女心も大事であるし、
いつまでも格好良くいたいと思う気持ちも大事である。
よってダイエットもほどほどに、健康的な人間本来の姿でいることが一番だと思う。